平成23年3月11日、日本全土が文字通り揺れる。
東日本大震災マグニチュード9.0という観測史上の日本最大の地震が発生した。
揺れの大きさもさることながら、津波の被害が甚大であった。
ニュースでは繰り返し繰り返し津波の被害映像が映し出され、その二次災害としての火災は観るものの言葉を失わせた。
震災による死者・行方不明者は19000人にのぼった。
やっかいであったのは、福島県第一原子力発電所津波被害により制御不能に陥り、放射性物質を垂れ流したことである。
放射性物質の影響は、憶測が憶測を呼び、収集のつかない状態にまでなっていた。
そのせいか、津波で大量に発生したいわゆる震災ガレキの引き受け先がなかなか決まらなかった。

三重県Y市。
元々あった家庭廃棄物の処分場の隣、新最終処分場はそこにあった。
一般廃棄物を受け入れるための処分場として造成されているが、ゆくゆくは震災ガレキを引き受けるための施設だともっぱらの噂であった。